- kayokofujimori 夏目漱石の「こころ」を英訳したEdwin McCllelanって、シカゴ大学で、ハイエクのもとで経済学を学び、オーストリアからアメリカに亡命したハイエクのドイツ語風英語も直しているらしい。う~ん・・また好奇心が分散する・・・
- お褒め頂いて恐縮です! 自信に繋がったようで嬉しいです。特に本人も無自覚な自己愛性人格障害や境界性人格障害や反社会性障害者の存在を知るだけでも、自分も神経症的にならずに生き易くなります。RT@unnkiup 感謝。神経症・人格障害者まとめhttp://bit.ly/aPT887
- Gattsu_Seijin 伊藤潤二先生の「首吊り気球」 RT@cocogocco 【急募】おすすめマンガ
- 夏目漱石は英国へ留学して英語の存在としてのbe動詞にびっくりした。なぜなら日本には自分の存在を西洋ほど深く哲学した歴史なんてなかったから。「be」は「~が在る」と言う「存在」や構文を「説明」する意味がある。だから「吾輩は猫である」という日本独自の比喩の表現の斬新なタイトルにした。
- 翻訳版の「吾輩は猫である」は「I am a cat」。 「I am the cat」では「その猫」というニュアンスが強くなりすぎるから。欧米人から見れば「私=猫として存在している?なんじゃそれ?」だろう。アリストテレスから続く西洋の存在論は、伝わるまで日本では曖昧なものだった。
- 逆にそこに日本人としての良さも垣間見れる。存在が曖昧であることが自然だったから。ぶっちゃけ20世紀になってから不完全性定理で「絶対に有る(存在する)」ということは有り得ないと証明され、量子力学で存在(脳細胞も含む全ての物質)が不確定な確率のものだと分かり、仏教空な曖昧さになった。
- 夏目漱石の言葉 『牛のようにぐいぐいと押してゆきなさい。世間は、一過性の花火に驚いてみせることはありますが、そういうものはすぐに消えてなくなります。 世間(せけん)は人がこつこつと時間を掛けて成し遂げた仕事にしか頭を下げません』 (弟子の久米正夫と芥川龍之介に当てた書簡より)
- 心を支える心 時ニール 2010-11-03 のつぶやき http://aikansyheiwa.blog21.fc2.com/blog-entry-244.html
- amneris84 小沢氏が好きでも嫌いでもどっちでもいいが、次の2つは押さえておきたい。 憲法第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。 議員証言法第四条 証人は、自己又は次に掲げる者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。
- ありがとうございます。何らかの参考になれば幸いです。m(-_-)m RT@k0sian とても見やすいです。ありがとう。僕のブログ神経症・人格障害者まとめ http://bit.ly/aPT887
- 私の祖母は看護婦だが障害者への考え方が「古い」と感じる。 「障害者は不幸だ!産んだ親も不幸だ!子も感謝すらできない親不孝だ!親に謝罪すべきだ!」とか言って「私が助けてあげないと生きられないなんて可哀想!」と泣く。 完全に差別と偏見で、お陰様で私は「偽善」というものがよく分かった。
- 乙武洋匡さんの「障害は不便ではあるが、不幸ではない。」という言葉が身にしみてよく分かる。
- 何でも「〜してあげる」という人は疑った方がいい。確実に恩着せがましく後から何か請求してくる。
- 偽善とは、相手の動機が自分利益なものをいう。しかし相手の動機が本質的に他者利益の善行であっても、受け取る側が神経症的な人間不信が強いと偽善と認知される。心から他者利益(無償)な善行なんてあるの?と思うかもしれないが「自己犠牲」という特殊命題な事例が一つでもある以上、それはある。
- 小林よしのり氏の著書で「マルクス主義は唯物論だから霊や魂を信じない。戦争で亡くなった方々に手を合わせる感覚も持ち合わせていない。ニヒリズムで破滅的な殺人狂のように変貌するのでお友達になりたくない。」と書いてあったが心から同意する。日本人は自らの極左思想に無自覚な唯物論者が多すぎる
- 日本人の神経症的な競争意識の強い人は、 「唯物論(科学万能主義:目にみえる物が絶対、科学は絶対、弱肉強食万歳)」 「ニヒリズム(虚無主義:人の生に意味はなく死んだらクズになるだけ)」 「拝金主義(世の中金が全て)」 の3つを重複的に併発させている。思考回路がこの3つで成立している
- だから神経症の患者は「所詮、人間は死んでもゴミになるだけなんだから、生きてるうちに人を見下しまくって、自分だけが金で儲けて崇められればいい。」という、自らのマイナス思考と劣等感を動機とした破滅的かつ実に幼稚(実際に5歳児で脳の発達が止まっている)で典型的な発想をする。
- この破滅的な発想が極めて本人にとっても悪質な結果を因果応報でもたらすことは、前述した通りである。 実際、科学で存在が実験的再現性で何度確認されても、存在自体がそこに「絶対に有る」なんてことは不完全性定理以降、あり得ないと証明された。
- 科学実験で「絶対に有る」と勘違いしてしまっているのも、日本人(当時の馬鹿な左翼知識人)が理科と数学という国際学問基準では対立していた領域を一緒するという愚行を犯したため、理科(自然科学)の中に、数学(神の存在証明のため学問=神学)のような絶対性があると重ね合わせて勘違いしたのだ。
- ダーウィンの進化論が間違っていたことも近年明らかになった。あれは「退化論」だから。「適応」の進化が事実なら魚は陸に上がらず、更に栄養の高い海を求めるよう進化したはず。「適応」とは過去の情報に頼ること。「未来志向」でないと進化は生まれない。だからその後の弱肉強食の話も矛盾してくる。
- だから神経症者のする「唯物論(科学万能主義)」「ニヒリズム(虚無主義)」「拝金主義」の発想なんて20世紀初頭に終わってボロボロに間違っているので、相手にする必要はない。日本人の理科と数学を同軸で考えてしまって歴史的変遷が分かっていないために理科が「絶対」という古い発想が一番厄介。
- 正直、「科学的に」って文頭に言えば「神は言っている」っていう聖書と同じくらいの意味合いでの科学信仰への洗脳力が日本人に植えつけてあるのが怖い。無自覚にマルキストっぽく洗脳されるのが怖い。そしてテレビにも簡単に騙される。これこそ数学と理科を一緒のものだと勘違いした弊害である。
- 小室直樹氏の言葉を借りれば、それ程までに「論理がない」状態だから新興宗教も盛大に興隆してしまう。 例えば、禅宗の仮観(全ては幻)を説きながら輪廻転生を説くのは矛盾だし、 天国も地獄もあの世を信じないキリスト教なのに、キリスト教の神を説きながら輪廻転生を説くのも矛盾である。
- 例えば、普段のストレスの安堵を求めて新興宗教にハマった親が、夜分うるさい自分の子どもの部屋で、子をあやしたり注意することなく念仏を唱えて拝み続けたりする。 親は自己満足しているが、子どもと健全なコミュニケーションが取れているような状態でない。例え、子が何歳でも育児放棄である。
- 大体、子どもは親の反面教師になる。親が信仰が強かったりすると子は冷めて唯物論的(神経症的)になってしまったり、逆に親が現実主義すぎだと子は空想的な世界で自己愛を補ったりする。例えば、心理学者・加藤諦三氏の親は極端に金儲けを嫌う人物だったので、諦三氏はその発想が嫌いになったそうだ。
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